最近ふと思った
自分自身をいくら調べようとも鏡をみようとも
自分自身を本当の意味で知ることはできない。
家族であれ大切な人であれ、はたまた友達であれ
お互い打ち解けあえる存在に対し感情をぶつかりあえる瞬間が
本当の自分のあらわれなのだろうと。
僕は子供のころから孤高をつらぬこうと一人にこだわっていた
それはただ単純に”かっこいい” “粋な生き方” だと信じてやまなかった。
人と接する機会を必要としない自分は、同時に感情を出す必要性もなくしていく。
しかしながら大人になって、自分のことがわからなくなってきた。
自分のやりたいことが見つからなくなって、何事も主体性がなく、行動が作業のように思えた。
それはただ、しんどい、つらい と言ったネガティブな感情しか湧き出てこなく
毎日なんのために生きるのかしか考えられなくなった。
死をも数えきれないくらい頭をよぎった。
自分のそのときの状態について空いた時間はとにかくスマホでしらべた。
原因が “主体性がないこと” まで突き止めるには時間がかかった。
そこからナゼナゼ分析を自分のなかでくりかえし
自分なりにたどりついた答えは”人とのつながり”の欠落だった。
遅かれ早かれ、30歳手前で気が付けた。
思考はまだ完全停止していなかったようだ。
まだかすかに動く思考をつかい、
自分の視点を読者の皆様と共有すべくして
たった今ここにブログを立ち上げた。
今後、前述のナゼナゼ分析の詳しい過程や
孤高にこだわった自分なりに考えた要因などを
載せていくことにする。
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